もんじろう日記

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徒然なるままに「父と読書」の思い出をしたためました

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こんにちは、もんじろうです。

 

今日も朝から天気が悪い。台風14号が近づいているせいです。

こんな日は家にいるのが一番。と言っても仕事がないのでやることは変わらず、今日も読書とプログラミングの勉強と家事で一日過ごそうと思います。

 

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今まで本を読むという行為をことごとく遠ざけてきた節があり、あまり読書という習慣が身についておりません。

その割に実は私の父は非常に読書家です。平日も週末も私の物心ついた頃から部屋に篭って読書に明け暮れている姿を見て育ちました。平日は夕食を済ますと20時過ぎから22時までは必ず読書に没頭し、週末は朝から夕方まで一日中です。なので父と何か一緒に遊んだという思い出はわずかであり、本を読んでいる姿そのものが父親像として鮮烈に記憶に刻まれました。

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そんな読書中毒者が一家の大黒柱ですので、実家には収まりきらない本が山のよう積まれており足の踏み場もありませんでした。母は部屋の床が抜け落ちるのではないかといつも心配するほどでした。

ある時そんな母の心配を察したのか、父がふと思い立ち私の母校の小学校に本を寄贈するといい出しました。正直恥ずかしいから辞めて欲しかったのですが、一度思い立つと周りの意見など耳を貸すような人ではないので、早速学校の事務局に問い合わせをし、直ぐに本500冊以上を山のような段ボールいっぱいに詰め込み持ち込んだことを覚えています。

私も最初は乗り気ではなかったのですが、段ボール詰を手伝えばお小遣いをくれるということだったので、まんまと術中にハマってしまい、気づけば一緒になって梱包作業をしてしまいました。父はとにかく行動派で周りを巻き込んで何かをやることが好きなタイプでした。特に外とのつながりが好きなようで、だれかれ構わず話しかける癖があります。この時も結局、段ボールを寄贈すると言ったあとで学校の先生や教頭先生、最後は校長先生とも仲良くなってしまい、なんだがとっても恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。

結局かなりの数の本が家から姿を消しだいぶ家が広くなりましたが、それでも家にはまだ床から天井までの高さと壁一面を覆うような本棚が三つも残っていたので、母の心配はまだまだその後も続くことになりました。

そんな父からはことあるごとに本をたくさん読まないと偉くなれないと叱られていましたが、当時は週刊少年ジャンプの黄金期であり同じ世代の方なら読まれたと思いますが、「キン肉マン」、「Dr.スランプ」、「ハイスクール奇面組」、「キャプテン翼」、「キャッツアイ」、「北斗の拳」、「きまぐれオレンジ☆ロード」、「シティーハンター」、「魁‼︎男塾」、「聖闘士星矢」、「ジョジョの奇妙な冒険」、「電影少女」、「まじかる☆タルルートくん」そしてなんと言っても「ドラゴンボール」です。他にも書ききれない名作が数多くこの当時に登場し、毎週月曜日には学校帰りにジャンプを買うのが習慣でした。なので本を読んで偉くなって欲しいという父の願いなど一寸たりとも幼い頃の私には通用せず、どんどん漫画の世界にどっぷりハマっていく幼少期〜青年期を過ごしてしまいました。

 

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父は生まれて間もなく戦争で両親を亡くしました。まだ小さかったので両親の記憶は一枚だけ残っている写真から想像するだけだそうです。幼くして唯一の兄弟の兄とも離れ離れに養子に出されることになり、兄は大阪で父は静岡に引き取られることになりました。昭和21年は戦後の焼け野原です。その日の食べ物にありつくことだけで精一杯の時代ですから、親戚一堂で面倒を見ることもままならず養子という判断に至ったそうですが、苦渋の決断だったそうです。そして今のような通信網や交通手段も発達していない時代でしたから、兄弟が互いの境遇を確認する術もなく、全く知らない土地で見ず知らずの家庭に身を置くことはどんなに心細かったのか計り知ることは容易でないです。

 

父は秋田の角館という武家屋敷が立ち並ぶ小さなまちの一角で生まれました。今では遅咲き桜を楽しむために5月のGWの時期になると多くの観光客で賑わう場所です。そして、生まれてまもなく引き取られたのは「下田」という伊豆半島の最南端にある小さな港町です。歴史の教科書では日米和親条約の後、開港された港としても習います。坂本龍馬や吉田松陰など歴史の偉人もこの地に訪れたということで少し華やいだイメージもあります。

海と山に囲まれ自然に富んだ場所ではあるものの、当時は特に東京や大阪の大都市と比べるととても辺鄙(ヘンピ)で不便な場所。道路などは一切整備されず、畦道を歩いて片道2時間かけ町に唯一ある小学校に通っていたそうです。

 

↓実際買っていたヤギの写真ではないです↓

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父には相棒がいたそうです。それは、ヤギの「名無しの権平くん」です。決してすき好んで飼っていた分けではなく、毎朝ヤギを連れ立って隣近所にヤギのお乳を売って歩き、家計の足しにしていたそうです。今で言えば新聞配達をする勤労学生といったところですが、当時の社会的なニーズはとにかく、栄養を補給をすることが第一でヤギのお乳はよく売れたそうです。

 

父は本人曰く、活発な少年期を過ごしたそうです。小学校・中学校と成績優秀で、運動神経も抜群、そして生徒会長を務めあげたと。そんな父の楽しみはやはりこの頃から「読書」だったそうです。というよりも当時はSNSもYouTubeもなければテレビも何もない時代でしたので、唯一の娯楽であり情報源は、全部本から収集するしかなかったのです。伊豆半島の最南端で孤独を和らげ空想世界に没入できる唯一の場所が図書室であり、卒業までに全ての本を読破したことが父の自慢話になっています。

 

すでに養父も養母も他界しており、父の一番の親友も糖尿病で数年前に亡くなっています。そんなわけで私たち家族が「下田」を訪れる機会もメッキリ減ってしまいました。そして高齢の父も徐々に遠出はしんどくなってきているので、足が遠のくばかりです。

 

今年、世界そして日本でも年明け早々からコロナという未知のウイルスの脅威に晒されていて、外出もままならない日々を過ごしてきました。実家に帰れず両親とも会えていない人が多いのではないかと思います。こんな時だからこそ、物理的ではなくもっと心の距離を詰めて普段話せないような事も、両親と話してみるのも良いのかなと思います。私は仕事を辞めてゆっくりとした時間を過ごす中で読書の時間が多くなりました。そして本に手を伸ばすたびにいつも父に本を読まないと偉くなれないぞと叱られた少年時代を思い出します。

 

そんな父は今もまだ健在で、大好きな家庭菜園をしながら自治会長として頑張っています。今はコロナ禍で会いに行けてません。先日のトランプ大統領の感染騒ぎもそうですし、イギリスが年内ワクチン認可は難しいなどのニュースを見ると、まだ会いに行くのは先延ばしにせざるを得ないかと思いますが、たまに安否確認の連絡でも入れつつ、採れたての新鮮野菜をたくさん送ってもらおうかと思います!

 

今日は金曜日です、もう一踏ん張り頑張りましょう!